小林家の歴史

はじめに

小林家の歴史
小林家の歴史

 本州には、歴史的な建造物が多く残され保存されています。本州に比べて北海道の歴史は浅いのですが、風雪に耐えて現存していた明治・昭和初期の建築物が主を失い今、どんどん壊されています。
 小林家は1897年(明治30年)に建築され、2013年(平成25年)までこの家での暮らしがありました。小林家の人々は、段差だらけで冬は外より寒いこの家の不便さに耐えて守り続け2006年(平成18年)に登録有形文化財に指定されました。
 2011年(平成23年)三代目小林米三郎が他界したあと、この家を維持・管理するための大きな出費が、残された者の肩にかかってきました。取り壊すことは簡単なことですが、豪雪の北海道で110年余も耐え抜いたこの家を公開し、住んでいたそのままの姿を皆様に見ていただくことで維持管理しようと考えました。

 

一、千枚の布

 日本には「もったいない」という精神が脈々と受け継がれています。「もったいない」は、「節約」という意味に近いようですが、少しニュアンスが違うように思われます。古くなったり、壊れたり、破れたりした「もの」に工夫を凝らして、とことん使いきるといったことを指すのだと感じます。

 小林酒造二代目社長、小林米三郎の妻チノは着古されて擦り切れた着物を丁寧に繕いながら大切にしてきました。三代目の妻榮子は、義母の遺した継ぎあとだらけの、たくさんの着物をどうしても捨てることが出来ませんでした。榮子はチノの繕った部分を四角く切り取り、一枚も失さぬように一枚一枚大きな布に縫い付けていきました。

 

その端切れの数は、千枚以上になりました。
 

 

今、その細かい縫い目に触れてみると、部屋の真ん中に凛と正座をして針仕事をしながら、帰りの遅い夫を待っている和服姿のチノの姿が思われます。
 
 商家としての華やかさの中に、もったいないを貫き、質素な生活で家を守ったチノの意志の強さと忍耐が伝わってくるようです。

 

「千枚の布」は小林家玄関ホールに飾られ、小林家の「守りびと」たちがその意志を継いでいます。

二、小林家の歴史

 初代小林米三郎は1869年(明治2年)、8歳の時に両親に連れられ出雲崎から北海道に渡ってきました。1878年(明治11年)17歳になった米三郎は、札幌ススキノで創成川の水を使い、酒造りを始めます。商売が軌道に乗り始めた頃、広大な土地を求めて栗山に下見に来た米三郎は、隣町の夕張炭鉱で、盛んに石炭が掘られ坑夫たちが命がけの厳しい仕事をしている事を知りました。重労働の男たちには酒の需要も高いだろうと考え1897年(明治30年)、栗山に移り、本格的に稼働を始めました。
 米三郎と妻トイには、一人娘のチノがおりました。チノは、小林家を守るために、婿を迎えます。小林家では、代が変わると初代米三郎の名前を襲名する習わしがあります。この婿が二代目米三郎です。

 二代目米三郎の時代は、景気も良く夕張炭鉱も全盛期で「めでたい時も悲しい時も日本酒」という時代で、売れ行きも好調でした。二代目米三郎は酒造りを幅広く展開するとともに政界にも進出し、お金と権力をほしいままにしていました。そんな夫の留守がちな家を妻チノは、徹底した質素な生活でよく守りました。夫婦には子どもがありませんでしたので、本家から次男を養子として迎えました。

 三代目米三郎の昭和の時代は、日本酒がビールやワインに押され、大変苦しい時期が長く続き、廃業を考えたことも一度や二度ではありませんでした。しかし、米三郎は実直に忍耐強く、そして質素にこの厳しい時代をやり過ごしました。妻の栄子は、当時小林酒造の事務所だった建物を利用した「北の錦記念館」を始め、敷地内に様々な資料館を造りました。

 現在は四代目米三郎となりました。米三郎は、北海道米の品質の高さに目を付け、農家と契約し北海道米にこだわった酒造りを展開しています。

 平成16年・17年、2年連続、全国新酒鑑評会において北海道産米で史上初の金賞を受賞しました。

 

結びに

 朝から夜中まで働く男たち。それを支え、家を守った女たち。脈々と受け継がれてきたことの中に、確かに結ばれていた愛情や絆、そして家族への思い。その時代の人々が、命がけで守ってきたものとは何だったのでしょう。

 先人の思いを、今を生きる私達がしっかりと受け止め、次代に伝えていきたいと思います。

 

略歴

文久1年(1861年)    初代米三郎出生

 

明治11年(1878年)    札幌ススキノで酒造りを始める 

 

 明治30年(1897年)     栗山での酒造りが始まる

 

   ~大正3年(1914年)   初代小林米三郎(53歳)死去

       

        明治19年(1886年)  新潟にて出生(田中 栄)


明治36年(1903年)   初代米三郎を頼り、新潟から栗山に移住。

            栗山駅前にあった「小林商店」に丁稚に入る。


明治43年(1910年)    初代小林米三郎に見込まれ、初代の一人娘「チノ」と   

            の結婚により婿養子となる。

 

大正6年(1917年)   二代目米三郎を襲名

 

   ~昭和43年(1968年)  二代目小林米三郎(83歳)死去

 

 

 

  昭和5年(1930年)    三代目小林 精(ひとし) 出生

 

  ~昭和43年(1968年)  三代目小林米三郎を襲名

 

  ~平成23年(2011年)   三代目小林米三郎(82歳)死去

 

 

 昭和37年(1962年)     四代目小林米孝 出生~現在に至る

 

  ~平成24年(2012年)     四代目米三郎を襲名

 

 

                   

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